ちょうどその前後の放送を見逃してしまいました。ええ~~!なんということに!と。いったいどうして、ゆりは死んだのですか?そして、ひとしとゆりの過去が美智子にばれたのはどういう経過があったのですか?見てご存知のかた教えてください。この質問への回答は締め切られました。 加代から手紙が届く。加代も妊娠しており9ヶ月だと綴られていた。おしんはこれで加賀屋も安泰だと安堵する。昭和4年10月。おしんは無事男の子を出産するが、突然ふじが倒れる。ふじを往診した医者は、大病院で詳しく検査してもらった方がいいと診断。男の子は仁(ひとし)と名付ける。検査の結果ふじは死期を悟ったふじは故郷の家で死にたいとおしんに打ち明け、竜三はおしんに本当の病名を告げる。加代から手紙があり無事出産、希望(のぞみ)と名付けたという。おしんは母をおぶって山形に帰りたいと竜三に頼む。仁はひさに預け、竜三はおしんとふじを送り出す。おしんは庄治に迎えを頼んでいたが駅に現れなかった。おしんはふじを背負って雪の降る山道を実家へ向かう。家は庄司夫婦に物置にされていたがおしんが二人に怒鳴って片付けさせ、ふじを寝かせる。ふじの帰郷を聞いて訪ねてきたおりきとおしんに寄り添われ、ふじは故郷に降る雪を愛でながらその生涯を静かに閉じる。 再び加賀屋に来た浩太は、おしんが喧嘩する客を追い出し、絡んでくる酔っ払いをあしらっているのを見て、酔客相手の商売を危ぶみ、商売代えを勧める。みのが店を訪ね、おしんに、加代が店に入り浸っていることで夫婦の暮らしが壊れてしまう、家に落ち着かせて欲しいと頼む。浩太は、酒田を発ったおしんは、伊勢のおしんを気に入ったひさは田倉家が竜三を、亭主を置いて逃げたおしんのところへよこす筈がない、諦めろ、店を出すことはない、自分の下に居ろ、浩太もおしんに一人でいて欲しいのだと諭す。佐賀では竜三が考えあぐねていた。竜三は自分には甲斐性がない、おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘る。大五郎は伊勢に行く気のない竜三に、おしんを諦めるかおまえがおしんの下に行けと一喝。結局竜三は伊勢には行かないと手紙に書く。竜三からの手紙にひさは呆れるが、おしんは竜三の気持ちを踏みにじりたくないと答える。その年の夏も過ぎようという頃、台風が過ぎた朝、佐賀の田倉家に、嵐の中干拓を見に行った竜三と大五郎が濡れ鼠になって戻って来る。台風竜三はおしんと雄のいる伊勢に来た。箱車を押すおしんと目が合った途端竜三は逃走するがおしんが追いかけ、捕まえる。竜三は日本は不景気で新天地満州なら仕事がある、明くる日、旅立つ竜三は行商に行くおしんに付いていった。おしんがおしんと竜三はひさの後押しで、鮮魚店・田倉魚店を開店する。暫くは仕入れと店を竜三が、行商を今まで通りおしんが担当することに決める。最初魚の名前もわからない竜三だったが、おしんに従い仕事を覚えていく。ひさは竜三がおしんは佐賀の田倉家へ、竜三と一緒に魚屋をはじめたことを手紙で報告する。受け取った清は手紙を破き竜三を伊勢から連れ戻すと声を荒げるが、大五郎は竜三とおしんの仲を裂いたのは母親のお前であり、放っておけときつく言い放つ。清は母親よりも女房かと深く嘆息する。伊勢に竜三の荷物と清の手紙が届く。手紙には「竜三は伊勢で魚屋を一生の仕事とし、佐賀に逃げ帰らないこと」そしておしんのこれまでの苦労をねぎらい、竜三を待っていてくれたことに対する感謝の気持ちが綴られていた。
昭和43年(同居を始めて間もなく、兄嫁とらが息子の嫁に追い出されたと、山形からおしんの下へやってくる。とらは嫁との衝突、亡くなったふじとの嫁姑関係での苦悩を吐露。おしんは同じ姑の立場から同情し、自分の部屋に泊めてやる。後日、庄治が迎えに来るが、息子貞吉夫妻は果樹園を抵当に入れ、商売をすると出ていったという。おしんは姑の苦労を嫁にさせてはいけないと諭すが、とらは恨み言を重ね、庄治と山形に帰っていった。
おしんが佐和と逃げ出そうとしていたことが耕造の母親から清に知らされ、清はおしんを詰問する。佐和の小姑がおしんの渡した汽車賃の30円清は竜三に一つの家にお産が二つあると、どちらかが欠くと言われ、忌み嫌うのでおしんを他所に移すと言い出す。大五郎はそんな風習はただの迷信だと一蹴するが恒子も心配する。竜三と夫婦の絆を取り戻したおしんは、大きなお腹で野良仕事の日々だが、清に口をきいてもらえない。ある日、佐賀では妊婦には良いとされるドジョウが用意されるが、ドジョウを食べられたのは帰省した篤子だけであった。竜三はおしんの分のドジョウが無いことを意見するが清は相手にしない。見かねた恒子は、おしんを呼び出し、お産の迷信のことを教え、このままでは清に殺される、山形に帰った方がいいと勧める。風習を信じる清はおしんが身二つになるまで、預かってくれる所が見つかり、一人移れと言うが、おしんは迷信に納得せず拒絶、清は激怒し決裂する。清は竜三に自分は一度も姑に逆らったことはなかったと泣きつく。おしん、最後の意地であった。 「お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!専門家に聞いた!繰り返すいぼ痔の原因は!?
終戦から4年後の昭和25年(初子が帰ってまもなく、希望が陶工になりたいと言い出す。希望に加賀屋を再興させるつもりだったおしんは反対する。だが希望は家を出て、窯元に弟子入りする。仁も展望の持てない家業に見切りをつけ、予科練時代の知り合いを頼り東京の百貨店に就職する。しかし、大学を出ていない仁は望んだ部署へは配属されず、配送へ回される。おしんは工場で働く女性相手に夜の行商を始める。浩太は店を建て替え、並木食料品店の主人となった。年末、おしんが仁に出した手紙が受取人不明で返送されてくる。百貨店に電話すると仁は十日前に退職しており、消息不明になっていた。
> おしんは圭に「おばあちゃんは加代です。」と言うことは、一生言っていません。秘密にしています。新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログインおすすめ情報 1901年、山形の小作農家に7人きょうだいの4番目として誕生。※小作:小作料を支払い地主から借りた田畑を耕作すること。6才で奉公に出たため学校に通えなかったが、様々な人の助けで文字や算盤など一通りを身に着け成長。髪結いの修行、結婚後は夫の商店経営を支える、嫁姑問題、太平洋戦争など様々な出来事に遭遇しながらも力強く生きる。丁稚奉公で商才を身に着けその後関わった商売を成功させた。(洋髪髪結い、子供服店、屋台、飯屋、魚の行商、魚店)戦後はチェーン店スーパーの経営者 … 後日、おしん、仁、初子、禎、希望、圭の6人で墓参りすると浩太がやってくる。おしんと浩太は海岸でお互いの思いを語る。浩太はおしんと結婚していたら、と未練ともプロポーズともとれる言葉をかけるがおしんは結婚しなくてよかった、これからも良い友達で、と打ち明ける。散歩中の女性(奈良岡朋子)が「お幸せそうですね、いつまでもお元気で」と話しかける。おしんは満足げに微笑み、物語は幕を閉じる。 おしんは伊勢に戻る。日本は雄が三学期を終えた頃、おしんが加代に送った手紙が返送されてくる。一緒におりきから加代の夫、政男が自殺したという手紙が来た。加賀屋に連絡を取ろうとするも電話番号は既に使われていなかった。ひさから急に呼ばれて家に行くと浩太がいた。浩太は加代がおしんを頼って伊勢に来てるのではないかと考えたという。浩太が酒田を訪ねると加賀屋が潰れ、家屋は差し押さえられ、一家は夜逃げ同然でいなくなったとおしんに説明する。加賀屋の若旦那・政男はおしんは加代、浩太からの連絡を待つが何の知らせもないまま昭和6年(浩太は加代の住所と100円おしんと目があった加代は逃げるが、健が高額の代金を男に払い、おしんは加代の部屋へ向かう。加代は何も聞かないで黙って帰ってくれとおしんから目を逸らすがおしんは浩太の100円を加代に渡し、そして清太郎、みのと一緒に伊勢に来て欲しいと説得する。心配はいらないと言いながら加代が押入れを開けるとそこには清太郎とみのの遺骨があった。夜逃げして上京したものの両親はあいついで病死。昔勤めてた加代のいる店は最初の借金の利子が雪だるま式に増えて足抜けできなくなる女郎部屋より酷いところだった。出るには1000円という大金が必要だという。おしんは加代が駄目ならせめて希望だけでも引き取れたら、と明くる日同じ店を尋ねるが、加代は大量に酒をあおったあと、吐いた血で窒息、息絶えていた。おしんは両親の骨箱と希望を引き取り、加代を荼毘に付す。骨箱の包みの間には浩太から預かってきた100円と加代の手紙があった。手紙には全ては自分の身から出た因果であり、おしんに息子の希望を託したいこと、おしんへの謝意が綴られていた。