知的好奇心を刺激する、今話題の面白くて涼しげな情報をお届けする総合情報サイトです。暇つぶしにどうぞ! 私は辛いことや不条理なことが起きた時、「ひとくちに「まあ、いいか」といっても、「ま、いっか!」の時もあれば、「まあ、いいかぁ~」の時もあるし、時には「まあ、いいか…」の時だってある。「まあ、いいや」の時だって、もちろんある。このように「まあ、いいか」にはいろんな意味が込められているのだけれど、少なくとも私にとって「まあ、いいか」は ある日、うつ的な精神状態でどーしよーもなく悩んでる人に「まあ、いいかって気楽に思うのも大事だよ」と言ってみたところ、意外な言葉が返ってきた。 物事を「まあ、いいか」と思うのは、「諦めること」と同じ。今まで気づかなかったけど確かに似ている!!だけど、私が使っている「ま、いっか」は物事を諦めることじゃない気がする。だとしたら何か?一番近いニュアンスなのは「 「諦めるっていうより…嫌な自分とか、環境とかを受け入れることだよ」「…よくわからない」 うん、おれもよくわからん。 諦めるってことと、受け入れること。似ているけれど、ちょっとだけ違う。 自分の欠点を”諦める”と成長は止まるけど、”受け入れる”ことができれば、それは成長するきっかけになる気がする。他人との関係を”諦める”とその人とは険悪になるけど、他人の存在を”受け入れる”とその人との関係は良くなるような気もする。 諦めることと受け入れること、その違いとは何なのだろうか?まず最初に私が考えた結論を。だと思う。これが「諦めること」と「受け入れること」、その違いについて私個人が考える結論だ。これだと何が何だかよくわからないので、もう少し詳しく説明しよう。 自分を取り巻く世界は大きく2つに分類される。「自分の影響力の範囲内にあるもの」と「自分の影響力の範囲外にあるもの」だ。「自分の影響力の範囲内にあるもの」とはつまり、「「自分の影響力の範囲外にあるもの」とはつまり、「 もちろん、この2つは明確に区別すること難しい。世の中には”変えられること”を自分の影響力の範囲外だと思い込んで苦しんでいる人もたくさんいるし、逆に”変えられないこと”を自分の影響力の範囲内だと思い込んで苦しんでいる人もたくさんいる。(特に他人の性格や行動を”自分の影響で変えられるもの”と勘違いすることは、人間関係における苦しみや悲劇のもとだ) とにかく、世界はふたつに区別されるわけだけど、それを踏まえて「まあ、いいか!」の意味を考えてみるとわかりやすい気がする。 例えば部活で陸上の100メートル走をめちゃくちゃ頑張っている若者がいたとしよう。どんなに頑張っても頑張っても、どうしても記録が伸びない!!そんな時にその状況に絶望して”諦めたら”どうなるか?もう努力することもなくなるだろうし、きっと練習に参加することもなくなるだろう。諦めてしまったら、自分の影響力の範囲内にあるすべてを放棄するしかない。 では、頑張っても記録がでない自分を受け入れたら?きっとその時から、新しいスタートが始まる。100メートル走で記録がでないのは体格のせいかもしれない。練習方法が間違っていたのかもしれない。自分の間違いや欠点を受け入れることで、また違う視点が見えてくる。それはひょっとしたら違う競技に切り替えることかもしれないし、練習の方法を抜本的に見直すことかもしれない、新しいコーチに指導を頼むことかもしれない。とにかく”受け入れる”ことは、次の行動につながるポジティブな意味合いがある。 例えばすっごくムカつく友達がいたとして、その友達のと関係を「まあ、いいか」と諦めることと「まあ、いいか」と受け入れること。子育て中の親がまったく言うことを聞かない子どもに対して、「まあ、いいか」と子育てを諦めることと、「まあ、いいか」と受け入れること。全然家事を手伝わない旦那に対して、「まあ、いいか」と諦めることと、「まあ、いいか」と受け入れること。すべて同じ。安西先生が言うまでもなく、諦めたらそこで試合終了だ。その関係はもうそれ以上よくはならない。 だけど、相手の”そのまま”を受け入れたら?きっと相手ではなくそれはラインホールド・ニーバー「まあ、いいか」と物事を受け入れたとき、有名なこの名言が指し示すように、その”勇気”は”諦め”の正反対にあるものではないだろうか。正直なところ、「まあ、いいか」には諦めること、そして受け入れること、そのふたつが絶妙にブレンドされている。すべてを受け入れるなんて、とてもじゃあないが出来ることじゃない。それどころか、もっとネガティブな要素だってふんだんに配合されている。受け入れる。諦める。面倒くさい。負け惜しみ。自己正当化。そんなマイナスな要素がありつつも、それらをすべてなんとな~くポジティブに変換してくれる、そんな力が「まあ、いいか」にはある。…と思っている。 世の中には「まあ、いっか」と思わざるをえないことが、そりゃあもうたくさんある。それらを「まあ、いっか」と思えれば、きっともっと生きるのが楽になれるはずだ。 そういえば「まあ、いっか」は、何となくバカボンのパパの「だけど「これでいいのだ!」ほどの圧倒的な受容感、肯定感はない。バカボンのパパほど天才的で楽天的でなくても気軽に使えるのが「まあいいか」のいいところ。是非とも心の健康のために多用してみて欲しい。 特に真面目で勤勉でストレスに弱いタイプの人。普段から「まあ、いっか」と心の中で思えば、もう少し気楽に、適当に生きれるのではないだろうか。
私は辛いことや不条理なことが起きた時、「まあ、いいか」と思うことがよくある。 ひとくちに「まあ、いいか」といっても、「ま、いっか!」の時もあれば、「まあ、いいかぁ~」の時もあるし、時には「まあ、いいか このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。名前:しぱ血液型:B型趣味:ゲーム・読書気になるニュース、不思議なニュース、ちょっとした雑学ニュースなどをピックアップして紹介します。 私たちは些細なことを深刻に考え込んでしまいます気にしない、気負わない。迷ったときは「まあいいか」悩みなんて放り投げてしまえばいい。力を抜いて生きてみましょう。私たちはひとつの失敗を大きく考えしまいがちです。失敗なんて誰にだってあります。思い通りにしようとするから許せなくなる。なったことは仕方がない。嫌な想いをわざわざ持ち続ける必要なんてありません。後悔からは何も生まれません。人は他者との関わりの中で生きています。必要以上に空気を読んで周りに気を使いすぎてしまう。「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか」自分を抑えて、言いたいことを我慢して耐えてきた。少しぐらい違っていてもいい。あなたの人生は、あなたの望むように生きていいのだから。失敗しないように張り詰めて。私たちはいろんなことを気にしすぎ。「こうしないとダメ」勝手に人生のハードルを上げて、自分から苦しむ必要なんてありません。人生はそれほど複雑でも難しいものでもありません。この記事が気に入ったらどうしてもいつまでたってもまいっかとは思えなくて苦しいですyyさんコメントありがとうございます。無理をしないことです。今は少し心を休める時期なのではないでしょうか。松籟 尊(しょうらい たける) ライフスタイリスト。 Copyright© そよかぜそくほう , 2020 All Rights Reserved Powered by 「まあいいか」、という言葉はとても便利な言葉です。何か嫌なことがあっても「まあいいか」と言うだけで、気が楽になるし、クヨクヨせずにすんだりします。そんなポジティブな効果があるので、僕も … 辞書では「まあ、いいか」の「まあ」は合格ラインを示しているかもしれないが、実際のビジネスでは、そのニュアンスは合格、不合格、あるいはもっと辛辣な内容に分かれる。その言葉をたえず合格ラインと解釈する部下と、不合格とに感じ取る部下とに分かれる。