この映画をひとことでまとめると、 歪んだ社会の闇を2時間半も観せられて気分は最悪 それでも観るべき価値のある映画. こんな人にはng! この記事へのトラックバック一覧です: 受信: 2008年10月13日 (月) 07:50受信: 2008年10月13日 (月) 10:35受信: 2008年10月13日 (月) 17:32受信: 2008年10月13日 (月) 21:49受信: 2008年10月15日 (水) 23:14受信: 2008年10月25日 (土) 21:55 タイトルの「アキレスと亀 ... » アキレスと亀 [映画通信シネマッシモ☆プロの映画ライターが贈る映画評] 夫婦愛の形を借りた芸術残酷物語だ。画家の真知寿(まちす)は妻の支えで絵を描き続けるが、まるで評価されない。やがて夫婦は奇行に走るようになる。絵のことしか頭にない真知寿と
ネタバレなし感想. が、これが北野武監督作品なのだからそんな単純なものには仕上がる訳がない。映画を観れば、やっぱりこれは紛れもないキタノ映画であった。 そう考えると、本作のスタンスも見えて来る。本作もまた、“北野武による北野武論映画”なのである。 まさにあらゆるジャンルを縦横に駆け抜ける、稀有な天才である。しかも、かなりアマノジャクで皮肉屋である。褒められると、逆の方向にワザと迷走して見せる。つまりは、役者としての、映画監督としての自分自身を、かなり覚めた目で、皮肉っぽく見ているのだろう。―そう考えると、前2作で北野武がやろうとした事も見えて来る。「TAKESHIS’」は、売れっ子芸人ビートたけしと、売れない役者北野武(これは「監督・ばんざい!」では、“次に何を撮るべきか、分からなくなった”映画監督としての北野武を、まさしくそういう流れで見ると、本作には、本作の“絵”を“映画”に置き換えてみれば、本作もまた、一人のアーティスト(=北野武の分身)を、 金持ちの家に生まれた真知寿(まちす)は、少年時代は親の庇護の元に、何不自由なく、奔放に絵を描いていた。芸術的な教育も受けずに。…その奔放さによって、かえってユニークな作品に仕上がっており、後に無名作家の秀作として売られている点を見ても、決して悪い出来ではない。青年時代になると、真知寿(柳憂怜)は画商(大森南朋)に勧められるままに、美術学校に通い、高名な画家の作品を模写するようになって、奔放さを失い、自分の方向性を見失って行く。真知寿は、いろんな絵を描いて画商に持ち込んでは、その都度貶され、ますます袋小路に迷い込んで行くのだが、皮肉な事に、「預かっておく」と画商に取り上げられた作品が、後に喫茶店の壁に架かっているシーンがある。少年時代に真知寿が描いた絵も、画商(伊武雅刀)が言葉巧みに売りつけるシーンがあり、画商なんていいかげんなもんだというたけし流の痛烈な皮肉が効いている。熟年時代になると、今度はたけし自身が真知寿を演じている事もあり、ますます皮肉と自虐趣味はブラック・ユーモアも交えエスカレートして行く。抽象絵画の作り方…など、ブラック・ジョークの最たるものである。極めつけは、酸欠状態になればインスピレーションが沸く…として、妻の協力で真知寿が自身を浴槽に沈めるシーンで、溺れて手をバタつかせているのも気付かず必死で真知寿を押さえ込む妻の姿は爆笑ものである。樋口可南子の股ぐら越しに溺れるたけしを捕らえたカメラアングルも秀逸。遂には、燃え盛る火の中で絵を描き続け、全身火傷で包帯だらけの姿になるが、このくだりもコント風の演出である(現実にはミイラのような包帯姿で病院が退院させるわけがない)。こうした物語を通じて、北野武監督は、お話としては、前2作に比べたらずっと判りやすいし、楽しめる作品ではある。…しかし、前述のようなテーマを内包している事によって、本作は、やはりまぎれもなく、北野武による北野武映画そのものになっているのである。タイトルの「アキレスと亀」は、冒頭にアニメで解説されているが、“追いつこうとして永遠に追いつけない”すべてを失い、無になって妻と手と手を取り合うラストシーンに、「そしてアキレスは亀に追いついた」と示される字幕には、そういう意味も込められているのだろう。北野武作品としては、久しぶりにあれこれといろんな事を考えさせてくれた。観た人それぞれが芸術というものに自分なりの考えを巡らせれば、この映画はもっと楽しめるだろう。3部作を終えて、北野武監督がこれで吹っ切れて、次回には何を作るのだろうか。ますます目が離せない。 (採点= 2008年【日】 上映時間:119分. こんな人におすすめ! 社会派・ドキュメンタリー好きの人. アキレスと亀のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。 Menu みんなのシネマレビュー > 作品 > ア行 > アキレスと亀 > (レビュー・クチコミ) アキレスと亀 [アキレストカメ] Achilles and the Tortoise. アキレスと亀とは、本記事では2.について説明する。アキレスと亀とは、「俊足にさて、従ってこのこの従って、横軸:t(時間)、縦軸:x(1 + ∫1 < 1 + e...以下ちなみにその「ある時刻」こそが、当記事この項の記述者は上記以降も、上述の前者と、やはり正確性を保最終的に、一見まともなやりとりに見えても、前提が参考それでも上記【スポンサーリンク】 最新の話題で記事を新しくしてみませんか? ①アキレスと亀とは、「アキレスがどれだけ速く走ったとしても、前を行くノロマな亀に追いつく事はできない」という話のこと。 ②ゼノンは「アキレスは亀に追いつけない」というトンデモ理論を唱えたのではなく、ピタゴラス学派を批判するためにこのパラドックスを唱えた。 評価:★★★★☆. こちらの記事に加筆・修正してみませんか? 平均点:6.52 / 10 点 (Review 42人) (点数分布表示) 公開開始 … アキレスと亀とは、 ゼノンのパラドックスのひとつである。「時間と空間の実在性」を否定するために提唱された。 「アキレスは亀に追いつけない」という詭弁である。現代では1.