ヨルシカ パレード 意味
「パレード」ヨルシカ 作詞・作曲:n-buna 「身体の奥 喉の真下」が指すもの。それは声(声帯)のことを指していて、目には見えないが、心臓を伝い、肺から気管を通り口から出る。その空気の振動にこそ、心が宿るのだという。 【ヨルシカ】の 「パレード」について MVと歌詞の意味を徹底的に 考察および解説していきたいと思います。 本楽曲は3rdアルバム 「だから僕は音楽を辞めた」 の収録曲となっています。 この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。そんなわけで今回から、1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」に収録されている各楽曲の考察をしていこうと思う。    藍二乗の藍はエイミーが使う万年筆のインクの色であると同時に、2乗すると「-1」になる楽曲を通してエルマに会いたいけれど、もう会うことはできないという、何かの決意のようなものを感じる。 そしてMVの最初、黒い画面の中に小さく「dear」の文字が見える。この楽曲自体がエルマへ向けた手紙ということなのだろう。また、「止まったガス水道」という歌詞から光熱費を払うことができない状況、つまりエイミーは仕事を辞めていることが伺える。もちろんテレビも新聞もある筈がなく、世の中で起こっているニュースも知らずに、ただ曲作りに集中していたのだと思われる。あの頃ずっと頭に描いた夢も大人になるほど時効になっていくただ、ただ雲を見上げてもこの一節からは、かつて思い描いていた夢を諦めている様子が伺えるが、 けれど自分で作った曲は売れず、人生が思うようにいかないことを知り、何を信じていけば良いのかわからなくなってしまった。(顔中を覆っているインクのようなものは、涙を流すエイミーの心情を表しているのかもしれない。)人生は妥協の連続なんだこれは売れる為には自分の作りたい曲ばかりを作っていては駄目なんだと、まるで自分に言い聞かせているようでもあり、エルマの作る音楽こそが自分の求めていたものだと述べていることから、エルマの持つ音楽の才能に気づいていたことを示していると思われる。この詩はあと八十字ただ、ただ君だけを描け「この詩はあと八十字」から、きっちり歌詞が80字で終わっている為、エイミーは物語の完結に対する強いこだわりを持っていた同時に、エイミー自身の寿命があと僅かであったということを示唆しているのかもしれない。 それと「視界の藍も滲んだまま」には、藍二乗のもう1つの意味が表されている。エイミーが空を見上げると涙で視界が滲み、空の藍色が MVの最後には、エイミーと思われる男性が空っぽの木箱に手紙を入れている様子が映されている。きっとこの歌がエルマに宛てて作られた最初の楽曲なのだろう。 と最低限の荷物を持って、人生最後の旅に出ることを手紙で宣言している。  この曲の日付より少し前の4/20の手紙には、エイミーがルンドという街の一室に宿泊していることが記されている。そして、この街の聖堂で詩を考えるのが最低限の生活で小さな部屋の六畳で最低限の生活で小さな部屋の六畳で幸せの色は そして幸せの価値という言葉も2ndミニアルバムの収録曲幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか。から由来しているものと思われる。つまりここで言う幸せとは、お金と関係する意味合いを持ち、お金(給料)=幸せの価値と捉えていたのかもしれない。 従って、給料の60000円から家賃の56000円を引かれて、残りは4000円という生活の苦しさを歌詞で表しているものと考えられる。また、「少し大きくなった部屋」からは、家具などを引き払い、どうにか生活をやりくりしていた様子が伺える。寿命を売るなら残り二年 それだけ残してあの街へ「寿命を売る」なんていう表現は、一般的に使われることはない。これは例えば何かの作品を世に出すような、創作家などが使うそして本来はあと二年でその人生に幕を下ろすはずだったのかもしれないが、実際エイミーはこの旅を始めてから一年も経たずしてその生涯を終えることになる。わかんないよ わかんないよ わかんないよ わかんないよ「わかんないよ」の連呼エイミーは人としての普通の生き方、当たり前の暮らしができなかったのではないだろうか。エイミーは人である前に芸術家であった。その部分が勝ってしまったが故に、エイミーは人としての普通に関してあまり興味を持たなかったのだろう。 しかし、エルマと出会ったことで普通の生き方(エルマとの生活)に憧れ、求めるようになったが、とあるきっかけ(恐らく寿命)でそれが叶わぬものと知り、世界に、己の人生に失望してしまったのではないかと思われる。 5/6の手紙には、アルヘルゴナ教会にて雨宿りをしている情景を楽曲にしたものと記されている。 これは推測だが、手紙に「このことから当初、エイミーは曲の制作活動を二年間行える程の資金とインクを持ち合わせていたが(詩書きとコーヒーより)、スリに遭ったことによってその活動期間を縮めざるを得なくなってしまったのかもしれない。 そして自分の人生の期限さえも自分で決めてしまう程の芸術至上主義だったということになる。(インクの量=寿命と決めていた。) 更に、という言葉についても触れていて、慣れて技巧ばかりを凝らすようになってしまった自分の音楽は、既に賞味期限が切れており、今まで続けていたものは所詮、芸術の真似事に過ぎないのだと心境を明かしている。  この楽曲に登場する「 数日前に書いた詩について「 そしてエイミーは「さようなら思い出せ! 手紙によると、あの詩に書かれているのは全て涙のことであり、涙というのは毒に近いものだと表現している。涙は自分の弱さを正当化するための麻酔であると共に、辛い現実から目を背ける「逃避」なのだという。 加えて、作品を笑われた時のことを自分の弱さ=毒だと述べており、このことから、エイミーは過去に自分の作品を馬鹿にされた経験があるようだ。従って、激しいロック調で演奏されているこの楽曲は、その時のエイミーの怒りを表しているのではないだろうか。 しかし、一つ気になる点がある。「空いた教室」、「指を指された僕」など歌詞の中に学生時代を連想させる言葉が入っていることだ。あくまで自己解釈だが、これは学生時代に出会ったエルマとの思い出ではなく、エルマに音楽を教えていた夏の記憶ではないだろうか。 エイミーは音楽を教えるという立場から、エルマといたその場所を教室と例え、その時間をまるで学生時代のように歌詞で表現したものと思われる。けれど、エルマに音楽を教えている内にその才能に気づいてしまい、心のどこかで嫉妬のような感情が少しずつ湧きあがる。そこに売れない自分の作品に対する怒りが重ね合わさり、涙さえも否定するという心情をこの歌詞で伝えようとしていたのかもしれない。 心の形は長方形なんてくだらないよ「踊ろうぜ」は、自ら決めた道でありながらも、エルマにもう会えないのならせめて、その時の感情や思い出を嗚呼、人間なんて辞めたいな伝えたい全部はもう灰になったから 淡く消え去ったからこの歌詞では、それなしでは生きられない程に、自分の人生を変えてしまった音楽に対する恨みとその音楽を選んてしまった自分へのやるせない思いを表しているのだろう。 そしてそれら全てを、皮肉にも「踊ろうぜ」という曲名の歌で忘れ去ろうとしているように感じる。嗚呼、音楽なんか辞めてやるのさ君を知ったまま 日々が過ぎ去ったからエイミーにとって、音楽の他にやりたいことなど無く、思い浮かばなかった。 「夜紛い」の数日前に書かれた6/26の手紙には、 ヴィスビーについて恐らくここで言う「輪壁」は、エイミーの心を覆う昨夏の初め頃、バイトを辞めたエイミーは、久し振りに駅前で路上ライブを行っていたようで、ふと目の前を見ると、一人の中年男性が立ち止まって歌を聴いていたらしい。 そして次の曲が終盤に差し掛かった時、その男性が感想を言った。 「詰まんない歌だな」 その言葉を聞いてエイミーは、ただどうでも良かったと記しているが、手紙の最後にはあの日見た夜紛いの夕暮れを、まだ忘れられないままでいるという怒りとも呼べない感情を書き表していた。がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく人生ごとマシンガン、消し飛ばしてもっとマシンガンという単語には2ndミニアルバム「負け犬にアンコールはいらない」の収録曲人生ごとマシンガン 消し飛ばしてもっと風穴を開けたいという歌詞は、一見すると物騒な言葉だが、これはエルマにこのまま忘れられたくないという思いと、こんな自分を認めてほしいという存在欲求を比喩した言葉だと思われる。 つまりエイミーはエルマにとって、いつまでも忘れられないような  乾かないように想い出をこの歌詞からエイミーは、エルマとの思い出を色褪せることなく、鮮明に覚えていたいという強い願望を抱いていたと考えられる。そしてその記憶を忘れない為の方法を探していた。その答えがエイミーの取り柄でもある音楽の中、つまり歌詞に綴るという表現方法だったのであろう。 これは個人的な解釈だが、「ひとりぼっちのパレード」というどこか矛盾を感じる言葉には、エイミーが一人でエルマへの思いを書き連ねるパレード(文字の行列)という本来のパレードとは相反する儚い意味合いが込められているのではないだろうか。  ずっと前から思ってたけどエルマの指先に注目して、まるで褒め称えているかのようなこの歌詞は、もしかしたらエルマが弾いていたピアノを指しているのかもしれない。そしてそのピアノの音色に、自分にはない音楽の才能を見いだしていたのだと思われる。 この曲はアルメダール公園から北に向かった輪壁沿いの海岸線を臨む木陰のベンチで作られたようで、この時点でエイミーは、 また、この手紙はエイミーが書いた「パレード」の詩の翌日に書かれたものであり、その後日談のような内容たった。 身体の奥 喉の真下 これも推測だが、もしかしたらエイミーはもう一度エルマの声を聞きたくなったのか、或いは感情が込められた歌声のように、心を宿らせることができるのは、人から発せられる声だけなんだということを伝えたかったのかもしれない。 それと、神様についての話も書かれていた。そこにはエイミーの持つ思想について書かれており、自らをオスカーワイルドに倣う芸術至上主義者だと述べていた。 人生が芸術を模倣するという言葉を手紙に書いていた。 これには、その人の体験した人生や自然、社会といった周りの環境を模倣して芸術が作られるのではなく、むしろ芸術には人生を変えてしまう程の力を持っているという意味が込められている。 この詩が作られた翌日、8/8の手紙には、こう記されていた。 ヴィスビーは本当に良い街だけど、長居し過ぎてしまった。 どうやらエイミーはこれから バイトを辞めたことについて そしてその時にエイミーはもう、この夏で全てを終わらせる覚悟を決めていたようだ。 良いミュージシャンについて この言葉から、(決して共感できることではないが)エイミーは27歳で人生の幕を下ろすことに美徳のようなものを感じていたのだと思われる。 手紙の最後には、「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い。」という詩と共に、   心臓が煩かった 歩くたび息が詰まったこの楽曲は歌詞全体を通して、自暴自棄ともとれるエイミーの荒々しい感情が表現されている。その原因と思われる言葉が、歌詞の中に散りばめられており、何らかの病気を示唆しているものと思われる。 心臓が煩かった歌詞に出てくる「狭心」という言葉。このことから推測できるのは、恐らくエイミーは 病気の正体を知ってしまったエイミーは、その人生がもう長くはないことに気づき、このような死を意識した楽曲を作ったのではないかと考えられる。最低だ 最低だ 別れなんて傲慢だこの時のエイミーにとって、唯一の心残りはエルマであり、エルマにある音楽の才能をどうにかして本人気づかせたかったのだろう。 そんな嫉妬と葛藤するエイミーの思いが、この楽曲から感じられる。  あんたのせいだ まず前者は、エイミーの人生や考え方を決めてしまった(決めざるを得なくなってしまった)外的要因をまとめて、「あんた」と呼んでいたのではないだろうかというものだ。 そして後者は、やはり「あんた」という二人称はエルマのことを指しており、エルマの存在が自分を変えてくれたのだということを伝えたかったのではないかというものだ。 考えたってわからないし心の中に線を引いて(He/art:彼/芸術)音楽と距離を置いてみても、指で机を弾く癖が抜けないというこの歌詞からは、エイミーがかつて憧れていたピアニストの夢を未だに捨てきれないでいる様子が伺える。幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ それと同時に、音楽のことしか考えられない芸術至上主義のエイミーは、大切な筈だったエルマに対しても嫉妬を抱いてしまう己の醜さを「化物みたいな劣等感」と称していたのだと思われる。僕だって信念があったそんな音楽に対する葛藤と矛盾が、エイミー自身を狂わせ、行き着いた果てが これは そして手紙の初めには、もうインクが残り僅かになったことが書かれていた。(実際に文字が少し掠れている) それとエルマに向けて、箱に入れた詩と曲は全て君のものであり、僕にはもう必要ないと述べ、作品のことばかり考える自分自身のことを「芸術狂いの醜い化物」と呼んでいた。 箱の中には、8/31の日付が付けられた手紙がもう一枚入れられていた。冒頭、インクが切れたようで、文字がかなり掠れている。 そこには、エイミーの人生観が綴られていた。 終わりのない小説は詰まらない。 それから、この手紙を入れた箱はエイミーが送った訳ではないらしい。どうやらエイミーは、そのうち親切な誰かが送ってくれることを祈って、エルマの住所を書いたメモ書きを箱に添えただけのようだ。(ということは、にわかには信じがたいが、物語としては本当にそうなったことになるのだろう)そんな一度音楽を辞めたエイミーが、こうしてまた夢を諦めきれずに詩を書き始めるようになったのはエルマの詩を読んだからだそうだ。 エイミーは、その時触れたエルマの詩に「月明かり」を見たようで、それは夜しか照らさない無謬の光を放っていたという。そして手紙には、数滴の滲んだ涙と思われる跡が付いていた。    嘘つきなんて わかって 触れてこのまま何処かの遠い国で 「だから僕は音楽を辞めた」の収録曲を聴いて、生前のエイミーが考えていたことや身の上のことを知ることが出来た。とりあえず言えることは、ヨルシカは素晴らしいということだ。(語彙力の欠如)エルマ編はまた気が向いたら投稿するつもりだが、ひとまず、これにて捜査は終了とし、今はその余韻に浸ろうと思う。  (ここまでご閲覧いただき、ありがとうございました。)