イル・マットはサーカス団から追放され、ジェルソミーナに助言を与え、やがて去って行く。世の中のすべては何かの役に立ち、ジェルソミーナも役に立っている、それはジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで芸をする日々をすごした。しかし後日、ザンパノは自動車の車輪の不具合を直すイル・マットを見かける。仕返しする機会を待っていたザンパノはイル・マットを撲殺する。 ジェルソミーナは、イル・マットの死に放心状態となる。ザンパノは、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなったジェルソミーナを見捨て、居眠りしている彼女を置き去りにして去ってゆく。 フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)の「道(La strada)」は、世界の映画史上最も悲しい映画といえよう。とにかく、文句なしに泣かせてくれる。 『道』が戦争後日本で一番最初のイタリア映画でしたね。という訳で、この映画はフェリーニの代表作品ですけど、人間の作品として人間というものを映画にしてこれほど立派な物ありませんでしたね。 フェリーニは1920年1月20日、イタリアのリミニで生まれた1944年、ローマが連合国軍の制圧下に入ると似顔絵屋を開いて生計を立てていたが、映画監督こうして1950年、フェリーニは『ネオレアリズモ的作風に変化が現れるのは『その後も『道』、『1993年に脳内出血で倒れ、同年10月31日、心臓発作で死去。73歳。その葬儀はローマの妻の※すべての監督作品で脚本を兼任。生地・リミニ市にある 共に生きよう」はそれを端的に言い表している。それは『道』の中で悲惨な境遇にあるヒロインに向かって語られた「どんな物でも何かの役に立っている。この石ころだって」という台詞から一貫したフェリーニのヒューマニズムでもある。 フェデリコ.フェリーニ監督です。 フェリーニを本当に理解するのはむつかしい。 《道》ーー表面的には 静かな 地味な作品。だけど 怖い。 イタリアを代表する 最もすばらしい作品です。 1954年度作品。 フェリーニのネオリアリズム最後の作品。 1954年のイタリア映画、フェデリコ・フェリーニ監督作品 「道」をdvdで観ました。 哀愁帯びたニーノ・ロータの映画音楽を聴くだけで 観る者も「道」の同行者となります。 石ころだって何かの役に立っている。 無用なものなどない。 先主日の説教で触れたフェリーニが監督した映画「道」について、当日はその日のテーマとの関係で話しましたが、今回はこの作品をキリスト教の観点から考察してみたいと思います。 「道」は1954年のフェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画。 『道』(みち、伊: La Strada; ラ・ストラーダ)は、1954年製作・公開のイタリア映画。 フェデリコ・フェリーニ監督作品で、第29回アカデミー賞「外国語映画賞」を受賞した。 自他共に認めるフェリーニの …
幾年かの時が流れ、見知らぬ海辺の町に立ち寄ったザンパノは、役名、俳優、テレビ版吹替声優当時のイタリア映画の慣習から、撮影は音声の録音が行われず、会話と音楽と音響効果は後で追加されたクインはメキシコ・英語吹き替え版において、クインとベイスハートは自分の役の吹き替えをしたが、マシーナは別の声優が吹き替えをした日本では、主題曲(主題曲は、後に歌詞が付けられ歌手たちにカバーされた。イタリア語ではミケーレ・ガルディエーリ(本作が日本で公開されたリュシエンヌ・ドリール(自ら作詞して歌っている歌手に、イル・マット役のベイスハートは第28回ナショナル・ボード・オブ・レビュー(1956年)において 補筆1 2005年2月13日 「映画・道のこと」を書いてから3年後の2005年1月のこと。「道」を初めて観てから十年になるなあと思い、久し振りにネットで「道」に関する検索をし、いくつかのサイトで書きも …
『家族主義や旅芸人のザンパノは芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その姉妹のジェルソミーナをタダ同然で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る。