映画感想レビュー&考察サイト スポンサーリンクネットの評判を見るとかなりの部分で批判的な意見が見受けられます。これは昨年、特大ヒットを記録した現実を変えるため(好きな女の子を救うため)に物理法則を無視して、必死に行動する。主人公の行動原理がとてもよく似ています。アニメであること、ここまで類似点があると観る前から意識せざるを得ません。原作は個人的には近年手掛けたドラマ『なぞの転校生』や『リップヴァンウィンクルの花嫁』も好みでした。脚本を担当したその後は、『恋の渦』や『バクマン。』に『SCOOP!』などを監督し、こちらは2010年代を代表する映画監督と言っていいでしょう。9月には『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』の公開も控えています。総監督を務めた問題はそれぞれに一定のファンがいて、独自の表現を得意とするこの布陣が噛み合っているかどうか。率直に書いてしまえばかなり歪なバランスでした。それぞれのファンがそれぞれの感覚で気になる部分が積み重なり、相対的に満足度が低くなってしまっているのだと思います。アニメ好き、映画好き、サブカル好き、俳優好きなど全方位に満遍なく向けたせいでその確かに菅田将暉の声優は慣れていない感じが浮いてしまっていましたが、彼女の決してお話としては悪くないと思います。原作では一回きりだったやり直しを、“もしも球”によってそのことによってノスタルジーさを失ったとしても、突き抜けていくエモーションが表現出来ればそこに新たな『君の名は。』が生まれる可能性はありました。しかし、本作は原作と道を変えそのままよりぶっ飛んだ方向へと加速していくのかと思いきや、割と無難な結末に着地します。要するに、実際、最初になずなときちんと向き合うことすら放棄した祐介はその可能性を自ら狭めてしまったわけです(それでもまだifがありますが)。決して悪くないしメッセージも納得のいくものなのに、突き抜けたものを感じることはできないのは確かです。改めて映画をヒットさせる難しさについて考えさせられます。公開時期のベストなタイミングや着地のバランス感覚、これはその時代によって変わるので本当に読めないし難しいものです。打ち上げ花火が平べったいのか、それとも丸いのか。この議論は恐らく女心と秋の空という言葉があるように女性は、男にとって真の意味では理解することができない対象です。特に中学生の頃なんて妄想ばかりでその極致でしょう。平べったいのか、丸いのか。それを考えるのがまた楽しかったりもするのですが。学生時代は男も女もまだ定まりきっていない、何者でもないからこそ、逆に言えば青春映画としては正しく着地をしてみせた本作は、やっぱりそんなに痛烈な批判を浴びるほど酷いのかとまた悩んだり。観る角度によってその姿をコロコロと変える。映画とはやはり面白いものです。Category : Tags : 映画『Fate/stay night Heaven’s Feel II. 2.映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のあらすじとネタバレ (c)2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会 夏休み、とある海辺の町。 花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか?平べったいのか?
Copyright © 2020 Cinemarche 映画感想レビュー&考察サイト 横から見るか?』(うちあげはなび、したからみるかよこからみるか)は、1993年にフジテレビで放送された岩井俊二監督のテレビドラマ作品。 また、1995年に公開された映画作品。. Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 『打ち上げ花火、下から見るか? 予告編を観てどんな感じの映画なのかイメージ出来たところで. 現在上演中のアニメ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見に行ってきました。個人的な感想と、少しの考察をもって、打ち上げ花火を紐解いてみたいと思います。<ネタバレ注意>続きに、原作ドラマを含む、映画「打ち上げ花火、下から見るか? 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は2017年の夏に公開されたアニメ映画で、公開された時は、米津玄師とDaokoが主題歌を務めた「打上げ花火」も大きく話題となり、また、原作であるドラマとは少し異なった内容で沢山の人を感動させました。 かるび(11月23日に公開された映画「火花」を見てきました。ずっと前に小説を一読しただけだったのですが、今回、映画が公開となったことをきっかけに、Netflix、映画を一気通貫で見てきました。このエントリでは、「映画版」火花に焦点を当てて、感想や考察を織り交ぜた映画レビューを書いてみたいと思います。【監督】板尾創路(「板尾創路の脱獄王」他)本作で監督に抜擢されたのは、板尾創路。1990年代頃までは、自身も「130R」という漫才コンビで、ダウンタウンや今田耕司・東野幸治ら吉本の有力芸人たちと共に東京進出を果たし、芸人として盛んに活動してきた経歴を持つ映画監督です。それにしても芸人出身の映画監督、本当に増えましたね。北野武は別格としても、松本人志(「大日本人」他)、品川祐(「サンブンノイチ」他)、市井昌秀(「箱入り息子の恋」他)など珍しくなくなってきています。本作は、関西弁にフィットしたテンポの良い会話芸や、芸人のあり方や漫才論を語るシーンが原作小説から重点的に引用されるなど、原作小説の世界を膨らませ、オリジナルのキャラクターやエピソードを含んでいたそれ以来、徳永は東京で、神谷は大阪で活動していたが、2002年、「あほんだら」の東京進出に伴い、神谷が吉祥寺に引っ越してきた。以後、二人は頻繁に連絡を取り合い、安い居酒屋や、神谷の同棲中の彼女、真樹の家で飲み明かしては理想の漫才について語り合うのだった。旬の時期をすぎると、「スパークス」の人気も少しずつ下降線をたどっていった。ある日、久々に再会した神谷と徳永は、神谷の新しい彼女・由貴の家で飲むことになった。例えば、建物外の寒そうな螺旋階段で、順番待ちをしながら最後のネタ合わせをする漫才師や、出番が終わって、袖口や舞台裏のモニターから他の芸人たちのパフォーマンスに見入る漫才師たちの姿、打ち上げの場で番組ディレクターへの営業活動に精を出す抜け目のない芸人たち。また、芸人たちの日常風景についても、徳永やその相方の日常もを中心に、丁寧に追いかけていきます。風呂なし共同トイレの汚いアパートに住み、夜間アルバイトに行く前に、まだ子どもたちが遊んでいる日中の公園で二人してネタ合わせ。そして、夜は気に入った芸人同士で安酒を飲みながら理想と夢を語り明かす毎日・・・。一方、小説版から抜き出されて強調されたのが、こうした一連の芸人達の生き様に対する描写は非常にリアルであり、本作の大きな見どころの一つになっています。実際、原作者の又吉直樹も、この又吉の見方に同調するかのように、とはいえ、ものすごい数のワナビーたちの中から、テレビやイベントで全国区のスター芸人になれるのは、ほんの一握り。映画前半で、まだ駆け出しだったスパークスも、その厳しさを身をもって実感していきます。たとえば、劇中では、徳永・神谷・鹿谷と3パターンの芸人が対照的に描かれています。ザックリ言うと、といった分類ができると思いますが、鹿谷は、ライブ中、フリップがめくれずに失敗したネタを、天然のキレ芸で乗り切ろうとしましたが、その雑なパフォーマンスがなぜか審査員のツボに入り、偶然にチャンスを掴むことになります。そして、これがきっかけでプロデューサーに気に入られ、鹿谷の快進撃が始まります。才能だけでもダメ、努力だけでもダメ。鹿谷に置いて行かれた徳永や売れない芸人たちは、劇中、神谷がネットの一部で批評されているように、菅田将暉の演技は、枯れて夢破れたアラサーの大人というよりは、若さの抑えきれない発露のように見えなくはないけど、それでもこのシーンを最後に見れただけでも、元は取れたと思います。Netflix版の林遣都も素晴らしかったですが、菅田将輝も全くヒケを取らない会心の熱演だったと思います。また、作品全体を通して、タイトルの「火花」を効果的に映像として使っていたのも非常に味わい深かったです。これに対して、ラストシーンで徳永と神谷が熱海の海岸で見上げた満開の打ち上げ花火にはなんとも言えない寂寥感がありました。また、花火を見た後、最初に師弟関係を結んだ、「火花」という物語の始まりの場所に戻ってきた本作は、テーマである「火花」をモチーフに、物語の要所要所で主人公達の行く末を暗示するようなメタファーが映像的に美しく散りばめられていました。これを読み解く楽しさ、面白さがきちんと用意されていた点が素晴らしかったと思います。本作をより深く理解するため、ストーリーや設定について、その要点となりそうなポイントを考察してみました。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、ーーー凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった。ちなみに、神谷たちのコンビ名さらに、徳永のネット上での本作への評価を見ていると、というところでしょうか?ただ、忘れてはならないのは、実際、林遣都は、インタビューで改めて吉本の公式サイト等にアップされている二丁拳銃のライブ映像を見返してみました。ある意味、本作での最大のサプライズであり、ハイライトでもある、豊胸手術を済ませた神谷が、居酒屋で1年ぶりに徳永と再会するシーン。下ネタに強い嫌悪感がある徳永は1年ぶりの再会にもかかわらず、神谷に容赦なく厳しい批判を浴びせます。それでは、なぜあれほど才能があった神谷は、豊胸手術をしたのでしょうか?神谷は、本当に面白い笑いを追求し、安易なキャラクター売りを否定していました。それこそが、徳永が神谷に弟子入りを志願するほど魅力を感じた点だったわけです。しかし、元々、神谷は思い立ったら気まぐれにその場でやりたいことをすぐにやってしまう性格です。井の頭公園で太鼓のお兄さんに突然に絡んだり、ただそこにケツがあったからという理由で、路地の真ん中で徳永に回し蹴りをするこれに対して、今回の映画版では、居酒屋で飲んでいる時、壁に貼ってあった、翌日開催される漫才大会出場者募集のチラシを見た神谷が、徳永を執拗に誘い、その場で思いついたネタを徳永に話します。徳永は、「もう芸人は引退した」とぼやきつつも、強く否定する感じでもありません。ここでエンドロールへと突入するわけですが、また、エンドロール終了後、無人の客席に向かって、舞台に置かれたマイクが置かれているショットがありました。通常の解釈だと、このマイクは、キャリア半ばで敗れ去って行った有象無象の元芸人たちへの板尾監督からの一種のエールのようなものだと考えられますが、ひょっとしたら、もちろん、どこにもラストシーン以降の二人について、どうなったのか公式にアナウンスされているわけではないので、あくまでも一つの個人的な解釈であります。本作は、1年以上前に先行して世界リリースされたNetflix版もあります。そこで、ここでは、代表的な相違点を列挙しておきますね。本作は、映画には映画の、ドラマにはドラマの、そして小説には小説のそれぞれの媒体を活かした面白さがありました。その中で、特に本作は芸人たちのリアルな空気感や、真剣勝負での漫才演技が楽しめる作品になっています。是非劇場でどうぞ!映画化より1年以上前に先に映像化されたのが、このNetflix版「火花」です。本作の凄いところは、一見してわかるのが、中途半端な邦画よりもよほど「映画」らしい作法で製作された作品であるということです。説明的セリフを極力排し、漫才シーンを始めとする漫才師たちの会話芸を長回しでたっぷり追った映画的なテイストに加え、映画で付け加えられたオリジナルキャラなども、原作の世界観にぴったりハマっています。一時期、NHKでも深夜枠で放送されましたが、現在はNetflixでノーカット完全版として継続して配信されています。又吉直樹が書いた読書論を中心とした「本」全般についてのエッセイなのですが、