・創作落語が好き。創作落語を聴きながら絵を描く。 ・健康法…ボクシング。ジョギング。 ・1日8時間以上は絵を描かないようにしている。 ・スペイン・バルセロナに絵画留学(=96年〜98年)。
・絵画1枚の売買価格は約200万円。 ・ニューヨークで立ち小便をして警官に注意されて逮捕されそうになった。
・小遣いと給料の殆どをソープランドに使っていた時期があった。 CM「朝日新聞」 92年(28歳)テレビ「ジミーちゃんの気持ちE〜夜」出演。 ・小3の時、父親に勧められて野球を始めた。 レストラン「末廣」(千葉県館山市、ボディボードをやった後で必ず行く=12.08現在)。 □略歴(満年齢) ・2歳年上の兄がいる。 □趣味 97年(33歳)バルセロナで絵画の個展を開催。 お笑い芸人というと、笑いを取るほかにも何か一つ持っていないと生きて行くのが、厳しい時代となりました。今回掘り下げるジミー大西さんもお笑い芸人としての顔を持ちながら別の顔として画家の顔も持っています。今回はジミー大西さんを掘り下げて行きます。ジミーさんというと、ボケ芸人のイメージが強く、喋りもつたないためメディア用にワザとあの芸風をやっているのか?それとも天然か?解りにくいところがあります。ジミーさんが、お笑い芸人になったきっかけは、漫才師ぼんちおさむさんに弟子入りしたのがキッカケです。しかし、当時のジミーさんは弟子の中でも芸を教えてもダメで、遅刻などもする問題児となっていました。そこで吉本興業の後輩である明石家さんまさんに相談し、ジミーさんを託す形でさんまさんの弟子的存在となりました。さんまさんの弟子になってからは、さんまさんの身の回りの世話をする付き人となりました。また、さんまさんが仕事に行くために、ジミーさんが車を運転する事になり、その道中である事件が起こりました。あまりにも車が動かないので明石家さんまが調べたところ実は停まっている車の後ろに車を停めたという事でした。これが笑いを取ろうとして、やったことではなくて本人は大真面目なので、責める事が出来ません。このようなエピソードは、数多く存在し明石家さんまの口から語られることが殆どで、ネタとして仕上がっており、おもしろエピソードとなっています。そのようなボケのイメージもあるのでしょうか。サヴァン症候群とは、軽度な知的障害があり且つ、特定の分野に対して優れた能力を発揮することが出来るという症例。このサヴァン症候群はタレントの松村邦洋さんもこの症例に当てはまる事がテレビのバラエティーで明らかとなりました。サヴァンとは、フランス語で賢人という意味があるようです。ジミー大西さんの場合はこの能力が絵の方に強く出たものと思います。確かに一般の画を書くことが趣味な人であれば使う事が出来ない色使いと、独特な構図は真似を出来るものではありません。ジミーさんが画を書き始めたきっかけは、日本テレビで放送されていた深夜番組EXテレビで、島田紳助さんから画を書いてみる事を提案されたことが始まりで、その後画を書き始めて行きます。丁度、ジミーさんはこの頃吉本興業でマネージャーをしていた女性と結婚し、過去にやっていたボケ芸を封印していました。それは奥さんのお義父さんに言われたことがキッカケです。その後、個展を何度か開催し、画家としての知名度を上げて行きました。本人は「12月にはイケメンになります」と明石家さんまに宣言したようですがあまり変化はなかったようです。今現在では芸能活動も少しずつ行っているようで、『東野 岡村の旅猿』にゲスト出演して画家と芸人の二足の草鞋を履いて頑張っています。今後どちらで再びテレビの出演するのか注目のところです。 ©Copyright2020 90年(26歳)テレビ「笑っていいとも!」出演。 八尾市立安中小学校 ※他の主な出演: 文化祭で「びっくり人間」と称して校舎の2階から傘を持って飛び降りて停学。 空いている道をどんどん行ったらさんまの自宅に戻ってしまった。
・写実的なデッサンはできない。 ・主なギャグ… エッセイ集「ジミーちゃんの気持ちEー日記」 ・ぼんちおさむ…師匠。舞台裏で進行係している時に声をかけられて弟子入りした。 ・絵画のアイディアは次から次に浮かんで来る。 ・結婚に際して「一生僕を食べさせてね」と妻に言った。
160㎝
関連項目: 友達と一緒に一番前の席に座って誰が一番先に「発射」するか競争した。 ・中学時代、女性の体への好奇心が限界を超え、 ・ダウンタウン、トミーズ、ハイヒール、内場勝則…NSCの同期生(1期生)。 大阪商大付属堺高校
・第23回世界新体操選手権の記念切手の原画を担当(=99年)。 画家として絵の値段はいくら? ジミーさんが画を書き始めたきっかけは、日本テレビで放送されていた深夜番組exテレビで、島田紳助さんから画を書いてみる事を提案されたことが始まりで、その後画を書き始めて行きます。 ■ジミー大西(じみー おおにし) 化学の授業中にピンセットをコンセントに突っ込んで停学(ピンセットが半分溶けて手を火傷)。
※ジェーン・パッカーは世界的に有名なフラワーアーティスト 留学中中に近所の海岸のヌーディストビーチにしょっちゅう遊びに行った。 ずっと辞めたかったがなんとなく高校までやり続けた。
□出身校 ・テレビ初めて出た時に「何かギャグを」と言われて放送禁止用語(女性器の名称)を言った。 ・明石家さんま…さんまの付き人をやっていた。さんまを「若」と呼ぶ。 ・中学時代、交換日記を始めて彼女にフラれた(文章がバラバラで気持ちが伝わらなかった)。 □サイズ
・マネージャーを付けずにひとりで現場に行く。 ・小学校時代、先生に絵をホメられた。
・若い頃にギャンブルで1000万円以上の借金を作った。 ・野球のスポーツ推薦で高校に進学。
・高校時代、美術の成績は1か2だった。
・さんまの付き人として運転手をしていた時のエピソード:
■ジミー大西 ■ジミー大西 大阪府八尾市 ・高校時代、よくポルノ映画を観に行った。 ・ほとんどの家事を担当。 ・高校時代、文化祭や体育祭で必ず何かをやった。女子高の文化祭にも飛び入りで参加した。 ・主な著書: 会う度にこづかいをくれる。 匂い嗅ぎ分けで警察犬に勝った事がある。 競馬 麻雀 ボディボード ・自宅で絵を描くのに飽きると妻のお弁当を作る。 ひとりで家で遊ぶの好きだった。 大西秀明 ・実家はスタンド割烹「あぐら屋」(大阪ミナミ)。 ・ジェーン・パッカーと共同展覧会をロンドンで開催(=01年)。 1964(昭和39)01.01(山羊座/A型)
□人間関係 □生年 □本名 □肩書き □出身地 ・エッセイ集「ジミーちゃんの気持ちEー日記」は誤字・脱字だらけの原稿をそのまま印刷。
・タカスさん…野球部時代の友人。上京当時にタカスさんのアパートに居候。 ・アゴを削る整形手術を受けた(手術費用150万円)。 服を脱がされて冬に池に放り込まれた。
「お前も頑張れよ」「ごきげんななめです」。
八尾市立成法中学校 ・いきつけ… ・学生時代、イジメられっ子だった。
・吉本興業に入った当初にさんまの奢りでソープランドでセックスを初体験。
・超綺麗好き。風呂掃除が大好き。 ・住んでいる所…大阪(妻が独身時代から住んでいる小さなマンション=03.11現在)。
ジミー大西(じみーおおにし,芸人,画家,基本プロフィール,幼少時代,私生活,人間関係, ... ・小学校時代、先生に絵をホメられた。 ... ・テレビ「exテレビ」の企画で初めて本格的に描いた絵にオークションで33万円の値が付いた。
・村上ショージ…若い頃に村上の家に居候していた。
練習を休みたくておしっこから塩分を出す為に醤油をカルピスで薄めて飲んだ。 ・高校時代、3回停学になった。 □私生活 日常のちょっと気になる疑問を解決しちゃいます。 ・テレビ「EXテレビ」の企画で初めて本格的に描いた絵にオークションで33万円の値が付いた。
母親が寝ているフトンに忍び込んでアソコを触ろうとした。
■ジミー大西
「エクスタシーッ」「やってるやってる」
・父親は長距離トラック運転手。 洋食屋「ビフテキのHibio」(大坂・天神橋=19.07現在)。 凡例:19.01現在=2019年1月現在 もう一度言うが、私はジミー大西のタブローの熱烈なファンだったりする。たとえば、目の前に何点かの絵を置かれ、そのなかにジミー作品が作者名を明かされずに紛れていたとしても、「コレが一番欲しい!」とチョイスできる自信がある。 監督が出すサインを覚えられなくてマネージャーに転向した。 ・ドラマが大好き。 ・日本で絵だけで生活をするのは経済的に難しい。