仕事をいろいろしましたが、まさふみのような障害を持っているひとたちのこと知りたい、勉強がしたいと一度社会にでてから再度学校に通い「社会福祉士」の資格 … きょうだい児のわたし大人になってから. 今日は重い話…。障がい者とは縁のなかった私が、きょうだい児と結婚した時の私の心の内を語ります。きょうだい児の方、障害を持った子どもを持つ方それぞれ大変だと思いますし、結婚に対しても色々思いはあると思います。ですが今回は、「きょうだい児と結婚
ありがとうございます。 とてもうれしいです。 僕には自閉症を持つ2歳年上の兄がいます。 僕はきょうだい児と呼ばれる存在です。 きょうだい児という言葉を知ったのも最近です。 突然ですが、きょうだい児という言葉をご存知ですか? きょうだい児とは、障害をもった子どもの兄弟姉妹のことを言います。 そういうわたしも知的障害をもった2歳年下の弟がいるため、このきょうだい児というものに該当します。 それ ネットできょうだい児について検索していたらこのページにたどり着いたという方がほとんどでしょうか?.
今日は重い話…。障がい者とは縁のなかった私が、きょうだい児と結婚した時の私の心の内を語ります。きょうだい児の方、障害を持った子どもを持つ方それぞれ大変だと思いますし、結婚に対しても色々思いはあると思います。ですが今回は、「きょうだい児と結婚した私」の立場での正直な気持ちを書きます。ご理解ください。私の旦那には、自閉症の兄弟がいます。俗にいう「きょうだい児」です。兄弟は自閉症。中度?重度?で養護学校→作業所だったとのことです。 私はこれを、付き合ってから知りました。結構軽い感じで話されたのもあって、私もそんな重大にとらえてはいませんでした。(職場恋愛です)正直、付き合っている間は相手の家族がどうであろうと自分には直接関係なかったんですよね。旦那(当時は彼氏)といれる間が楽しかったので、それだけで良かった。けど、その気持ちは子どもを妊娠して変わります。 妊娠してから気付いたのが、子供に旦那兄弟と同じ障害が遺伝する可能性。私は、このことにものすごーーーーーく悩み、苦しみました。覚悟してから結婚→妊娠したのならまた違ったのかもしれません。私の場合恥ずかしながら出来婚だったので、余計です。自分がいざ妊娠して、ここまで子どもの健康が気になるとは…。母親として当然の心理なのかもしれませんが、妊娠前は想像もしていませんでした。子どもにもし障害があったら。そう考えて毎日悩みました。ここでは書けないような…。真っ黒な気持ちになりました。 そして、覚悟が出来ないまま…出産します。自閉症は、生まれてすぐはわかりません。症状が出てくるのは1歳とかから。正式に診断がつくのが3歳を過ぎてからと言われています。勿論出産前に「障がい者だから」とわかって堕胎することも出来ません。なので、出産してからも子どもの一挙一動が気になっていました。何か変わった行動をするたびに「自閉症 〇〇(行動)」等で調べる日々です。息子は言葉も遅く、意思疎通もなかなかできなかったので悩みは長く続きました。 私の気持ちが落ち着いてきたのは、長男が2歳をすぎて自閉症の重度の可能性が少なくなってから。それまでの3年間は本当に辛かったです。軽度の発達障害であれば、みんなと一緒に就職することも可能です。でも、もし子どもが重度の自閉症だったら、意思疎通が出来るかわからない子どもを一生面倒を見ないといけないかもしれません。それが怖かったんだと思います。 私が経験したような気持ちを子どもたちの配偶者も味わうと思うと…子どもたちの結婚は不安です。相手方の家族に反対されることもあるでしょう。そう思うと、将来がすごく怖いです。(今は考えないようにしてます…。) どうしても、親は先に亡くなります。その後、旦那の兄弟の面倒は誰がみることになるのでしょうか。それも気になりました。親がしっかり貯金をしてくれているのなら、施設に入る目途がついているのなら、大丈夫かもしれない。だけど、どうなるかはわかりません。もし急に義親に何かあったら、子育てと並行して障害のある兄弟の面倒をみることになるかもしれません。2人目を諦めて障害のある兄弟の世話をすることになるかもしれません。「施設に入れる」なんて軽く言うけれど、実際は施設なんて簡単には入れなさそうですよね…。 申し訳ないけれど、私は「障害児の面倒を見なくてもいい」という話を結婚前に旦那としました。一応旦那は「大丈夫」と言っていますが…実際はどうなるかわかりません。少しは覚悟しています。 よくきょうだい児の方で、「親が(障害のある兄弟の)将来は心配せずに、自由に生きればいい」と言っている方を見ます。すごく羨ましいです。うちの義母は「将来あなたに面倒見て貰わなあかんから」みたいなことを普通に言ってくるタイプ。正直、重いです。結婚前に言われてたら、結婚してなかったと思います。 私は、そう思います。血の繋がった自分の子供の育児さえ、たまに辛いことがあります。義親が亡くなってしまったら、障害を持った兄弟の世話を自分が引き継がなくてはいけないかもしれません。子どもは大きくなりますが、障害のある方の場合は一生です。大人になって落ち着いている方も多いのかもしれませんが、旦那のきょうだいの場合は「暴れて店の外装を壊した」「付きまといをした」等警察沙汰になったこともあります。子供なら何とかなるかもしれませんが、自分とそう変わらない年齢の男性がそれをする訳です。そんな力も体力もある大人の面倒を見るのは…いくら好きな人の兄弟とはいえ、どれだけ大変か想像もつきません。 上であげた3つの気になったこと。私は特に遺伝の件がとても怖かったです。結婚できるかは、これらの覚悟を出来るかどうか…じゃないかな、と思います。この3つが自分の中でクリアできても、今度は家族に理解してもらうのが大変です。実際障害児に偏見を持っている方は多いので。「兄弟の障害を理由に家族に結婚を反対された」ってよく聞く話ですよね。もし自分の子供に遺伝が出て障害児になったら、今度はそれが自分の兄弟の結婚に影響がでる可能性もあります。「そんなことで差別する人はお断りだ」と、そんな風に思える心の強い人だらけなら問題はないかもしれませんが…。そんな人ばかりではありません。なので、家族のことを考えると自分ひとりの気持ちだけで突っ走ることも…できないですよね…。 私は旦那と結婚することで、「障がい者を身内に持つ人」とのつながりが増えました。その人たちに共通することが「優しい」こと。旦那も優しいです。そこが好きで付き合いだしました。 それは今もかわりません。何かあったらすぐ私のことを心配してくれるし、当然私たち2人の子どもは可愛いし。本当にいい人と結婚したな、と思っています。「障害を持った兄弟がいるから」こういう優しい性格の旦那が出来たのかもしれません。 子どもに重度の障害が遺伝しなかった今は、穏やかにすごせています。ただ…ごめんなさい、子どもにもし重度の障害があったら…同じ気持ちになれたかは、わかりません。 障害を持つ兄弟を持った方と結婚するのには覚悟が必要です。特に遺伝に関しては、本当にメンタルに来ます…。だけど、それを乗り越えられる位愛して結婚してくれたら素敵ですよね。「障がい者が身内(おじ)にいる子の親」となった私としても、こんなに嬉しいことはないです。 きょうだい児の意味とは、障害をもった子の兄弟姉妹のことを言います。私は知的障害を持った兄弟がいます。ダウン症なので適度にコミュニケーションはとれますが彼が何をしゃべっているか意思疎通できないときもあります。アラサーになった今でこそ障害を持った兄弟との関係は良好ですが、思春期はいろんな想いがありました。大人になった今振り返ってみます。 Contents私の障害を持った兄弟のことを「まさふみ(仮名)」としてお話しします。父は2時間かけて通勤しておりほぼ家にはおらず、母専業主婦。私たちの兄弟は祖父と母に育てられたとも言えます。父は厳格でしたが、祖父は唯一の女の子である私にでれでれ、母は楽天的でなんでも受け入れてくれるような性格だったこともあり家庭内ではのびのびとすることができました わたしとまさふみは小学校と中学校が一緒でした。専門的な教育をする特別支援学校に行く予定でしたが、どうしても遠いので母が学校に交渉して同じ小学校と中学校に通えるようになったのです。私の大尊敬している母については「 小学4年生になったぐらいの私はまさふみの存在が他とは明らかに違うことを理解し始めます。月曜日の全体朝礼の際、全校生徒が集まっているなか、静かに校長先生の話を聞いてる生徒をよそにまさふみが走り回りまるのです。「こら!静かに座ってなさい!」と追いかける先生とそれを楽しんでるのか面白がってるのか笑いながら走るまさふみ。毎回私はこの全体朝礼が嫌いでした「お願いだから先生の言うことをきいていますように!」と祈りながら校庭にでていったことをよく覚えています。目立つまさふみの存在が恥ずかしくて心臓がバクバクでした。 朝礼の時は体育座りで顔をうずめてできるだけまさふみが目にはいらないようにしてた気がします。私は当時小学校ではとっても控えめな性格だったので、クラスメイトに「おい!お前の兄弟がまた暴れてるぞ!」なんて言われた日はもう最悪でした。「知らんし」とかどうでもよい対応を見せていましたが、心臓はバクバクで、「その話は言ってこないで!!!」と思っていました。中学校になってからも、学校の授業でクラスメイトの前で発表していた時に、理由は忘れたんですが「お前の兄弟は何人で何をしているんや?」みたいなこと先生に聞かれたことがありました。その時も一気に緊張してどう答えたらいいのか分からなくなりとりあえず「え、なんかよくわからないです」と濁してその時が早く終わるのを祈りました。「さらにもっと聞かれたらどうしよう」なんて恐怖もあったりしてドキドキハラハラでした。私の中でまさふみの存在はできるだけ隠したい存在だったのです。 知っている人は知っているんですが、まさふみのことをみんなに伝えたら、どんな風に思われるんだろうという恐怖が常にありました。ただ、家では真逆。当時まさふみの存在はストレスで大嫌いでした。なので、「こっちこんといて!」とか「あっちいって!」とか「一緒の家族と思われたくない!」とひどいことを言っていました。身近に、障害があるような家庭がなかったこともあり、人と違う境遇であることを呪いましたし短気で家で暴れまわっていました。私がまさふみをいじめるので母はまさふみを守り私を怒ります。母に本気でかみついたこともありますし、私自身が暴れまくるが故に父にぼこぼこにされたこともあります。ストレス発散の方法が身内に暴言をはく、殴るけるしかなかったのかもしれません。ちなみにイライラするので毎日学校から帰るとお菓子を1袋以上は食べていました。なので小学6年生では女子の中で1番か2番かくらい太りましたし、自分が大嫌いで鏡を見ていませんでした。(部活を始めたら体重が半分くらいなくなったのでよかったです) 周りがぽろぽろお付き合いをしはじめ、「私も彼氏が欲しい!」と思い高校2年生のころ初彼氏ができました。付き合ってすぐにまさふみのことは言おうと思いました。まさふみのことを言って嫌われたらいやだけど、言わずにいつか嫌われるかもしれないと思ってるほうがしんどいと思い早く安心したかったのです。付き合い当初、電話で「ちょっと、言いにくいけど言いたいことがあるねんけどいい?」と話し始めたもののしばらく言い出せず・・・覚悟を決めて聞きました。当時の彼は「全然いいよ!昔そういう子と一緒に遊んでたりしたで!」と言ってくれてとーーーーーっても安心できました。そのときは本当にうれしかったです。 当時の彼氏がまず受け入れてくれたからこそまさふみのこと受けれいてくれる人がいるんだと安心できるようになった気がします。半年ほどお付き合いしたころ、家族に彼氏のことを紹介しました。ダウン症の友達がいたと言ってたので紹介はそこまで緊張しなかった気がします(ダウン症の人だいたい顔一緒だからイメージつくだろうと思って)紹介した際になぜかまさふみがテンションがあがって「おい!今からキャッチボールしようぜ!」なんて言って彼氏を誘って近くの川辺でキャッチボールをすることに。当時の彼は優しく受け入れてくれてまさふみがあきるまでキャッチボールをしてくれました。 大学になるともうまさふみのことはバレません。いない存在も同然です。なので特に問題なくサークルで遊びまくる日々。合コンばっかしていましたね。私はアルバイトと大学でほぼ家にいないことから、まさふみとの関係もお互い関与せずといった感じで仲が悪いということはなくなりました。そんななか、なぜか羊水検査の講義が授業であったんです。その後、何名かでその話題になったとき友達が「障害者産まれたりせんから!」と言いました。 特に障害に偏見があってとかじゃなく、友達はノリで話をしていたんですが当時の私はすっごくひっかかり「いや、産まれるで!私の兄弟障害もってるから!」と初めて自分からまさふみのことを暴露しました。けどやっぱりいろいろ深くは喋りたくなくてごまかして違う話に持っていきました。友達の「障害をもって産まれたりせんから!」という発言に対して、友達との関係を悪くはしたくないけどでも「言わなきゃ!」という気持ちになったんです。初めてまさふみのことを守らなきゃみたいな(別に攻撃されてないけど)感覚になりました。そのころから、「障害者差別には反対でまさふみのような人たちのことは悪く言われたくない。けどそんな自分はまさふみのことを周りには話せない。秘密にしている。待てよ・・・私が1番の差別をしているのでは?」という私の中での矛盾に気づき自己嫌悪でぐるぐるしていました。そこから、障害を持っている子供が生まれる可能性はだれでもあるし、障害者の存在をもっと知ってほしい!(特に知的ね)差別しないで!!という気持ちが極限に・・ 若いパワーはすさまじくとかとか謎にいっぱい動きました。今思うと恥ずかしいけど、当時はなぜか使命感に燃えてた。マジ謎!!就職活動では、一度A型事業所を自分でつくろうかとまで考えていました。会社をつくろうみたいなセミナーにでて、たまたま隣の席が同い年のバンドマンで変な恋愛もしました。彼はDV男でしたがしばらくは離れられず、そのぐらい当時の私は狂っていたんだと思う。良い意味でも悪い意味でも。 仕事をいろいろしましたが、まさふみのような障害を持っているひとたちのこと知りたい、勉強がしたいと一度社会にでてから再度学校に通い「社会福祉士」の資格をとりました。今は福祉の世界で働いていることもあって、まさふみのことを暴露する抵抗は減りました。障害のある方の就労支援の仕事をするにあたって、きょうだい児であるということは今までと違って強みにもなっています。ご家族などで障害があることを引け目に感じているような様子があればきょうだい児であることをカミングアウトすることでとても信用してもらえることが多いです。福祉の仕事をしていると障害がある方の家族が同じように苦しんでいるのがすごくわかりとてもエネルギーになっています。 大人になった私は、人並みに出会いの機会を作り恋愛をして人並みに結婚できています。きょうだい児は結婚しずらいなんていいますよね。小さなころからいろんなチャレンジをして自信をつけてきたこともあり、障害について理解がない男性は恋愛対象外でした。好きな人ができたらまずきょうだい児のことを伝えていました。それでも付き合う覚悟があるのか?と私なりに考えていたんだと思います。そして今の旦那と結婚したのですが、旦那の家族の親戚には障害がある人がいましたしきょうだい児というと数少ない存在のように思えてしまいますが、意外とたくさんの人がきょうだい児にはあてはまるもんです。きょうだい児というと、どうしても恥ずかったり目立ちたくなかったりついつい消極的になりがちでどうしても自信をつけるチャンスを逃しがちですが、私はたまたまエネルギッシュな性格だったこともあり無事結婚することができました。 今振り返ると、思春期は超荒れていた私ですが、自分の気持ちを家庭内でキレながらも両親に発信で来ていたことはよかったなと思っています。実体験からきょうだい児は社会で辛い経験をする分、前向きに生きるには家庭内ではのびのびできる環境が必要だと感じました。今「きょうだい児」という言葉がどんどん知られてきました。きょうだい児の支援も広がっておりきょうだい児にとっても生きやすい社会ができつつあるのでしょう。ただ、私が過去を振り返ったとききょうだい児支援は欲しかったか?というとNOです。環境がよかったからなのかもしれません。きょうだい児だから辛いと思うことがあまりなかったのです。もちろん、辛い思いをしてきた過去から必要性を感じて支援が広がっており、家族関係の不和や両親の子育ての姿勢によっては非常にきょうだい児の支援が必要です。きょうだい児でもいろんな人がいます。必要な人に必要な支援が届きますように!全体に公開している何名かの投稿をリンクではっておきます。▶▶▶色んな思いがあることを知って頂ければうれしいです!死にたいと友達に相談されたら|友達が死にそう自殺を防ぐための方法障害者差別や偏見の理由と原因|なぜおこるのかを知ると納得