魂 名前 スピリチュアル

私をヒーリングしてくれたその方は、世界を旅しながら無料で奉仕やヒーリングをして生きている方で、日々何十人、何百人と癒していました。その方との出会いをキッカケに、私自身にもヒーリング能力が身についたり、オーラが見えはじめたり、体外離脱を体験したり、成仏出来ない霊を救う能力が発現したり、様々な霊的な体験をしました。それら体験は、この天空の庭先にまとめられています。 関わる人全てに豊かになって欲しい。それが私の願いです。 今日までの天空の庭先の歩みはアーカイブのページにまとめられています。 ブログアーカイブ 「天空の庭さき」というブログとサイトのタイトルは、天の国のかたすみ、みたいなニュアンスで命名されました。 偶然会うのは魂を成長させる為のメッセージ. 私は本当の「天国」や「楽園」は、それを求める人の心の中にあるものだと思います。ここを訪れる人たちが豊かで美しい人生を歩むヒントをみつけてくれたらそれは私にとって幸いです。 ここでは、魂である意識としての自分を対象にした、スピリチュアルな人生の目的をお伝えします。 スピリチュアルな理解を含めることで、人生の目的に誰しも共通のものがあり、後はそれを目的にするかどうかの本人の選択のみが残ります。 「☆ウリエル☆」というハンドルネームは、宇宙の運行や浄化を司る天使の名前を借りました。横の2つの☆は当時の楽天ブログでウリエルというハンドルネームがすでに取得されていたために、仕方なく横にくっつけたのですが、この☆のおかげで姓名判断や数秘術でとてもよいハンドルネームになりました♪ 天空の庭先オープン 2004年に楽天ブログで天空の庭先がスタートしました。 霊能力が身についたキッカケ 本業はデザイナーで、ふつうに社会で働きながら、平日の夜や週末の休みを利用して、霊的な疑問や相談にお答えする活動をしてきました。 魂を成長させるため、どんな人の運命(魂の成長プログラム)にも「問題」がじゃんじゃん起こります。 「問題」をクリアすることで、魂が … 人間誰しもが名前を持っています。どんな人でも名前を持っていない人はいません。少しのずれはあっても、誕生すると2週間以内に名を与えられ、結婚で姓が変わることはあっても、死ぬまでその名前で自己の存在を表示します。 恋愛のスピリチュアルな縁で結びついている相手とは、 肉体は離れていても魂の世界で寄り添っています。 魂が共にあるのですから、肉体同士もお互いを呼び寄せるのです。 二人が出会う前から魂同士は寄り添っているので実際に初めて出会った時にも これまでの人生でのスピリチュアル体験から得たことを記事にしています♪  ☆ウリエル☆さんこんにちは、こんばんわ、知りたいこと、気づかされること闇と光を行ったり来たり天空の庭先、、、ありがとうございます。いつも楽しく拝見させていただいております。ウリエルさん、こんばんは。コメントしようとしていた事が先に別の方が書かれていて、少しびっくりしたと同時に、みんな日々をより良くしようと精一杯生きているのだなと痛感しました。汗「心を清めて愛を持って生きる。」これほどまでにシンプルで難しい事はないなと感じる今日この頃。。昨日は愛を持てたのに今日はどうしても許せない、、上司のあの態度が気に入らない、、最近はそんな否定的な感情ばかりで、最後に残るのは罪悪感と虚無感だけ。人間の、魂の成長は途方もなく遠いものだけれど、少しずつでも輝きを増していけたらと思います。お忙しい中、更新ありがとうございます。ウリエルさんに幸多きありますように。RPGゲーム、そうですね(^^)同じ属性のグループで助け合い(^^)…レベル上げて魂の力が強まり、課金によりオプション?追加があったりステージが上がっていき。白のオーラの方こちらに訪れる方多いのですかね。私も白らしいです。この記事へのトラックバックはありません。受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。

体験談

霊能力と呼ばれる力を手に入れるキッカケは、21歳の時に霊的な師と出会い、ヒーリングを受けた事でした。 何をするために生きているのか?達成やしたいことを目的として人生を過ごす。そんな人生の目的は誰しもにあるのかどうか。人生の目的を考える上で、人生を今世のみに限定したものか、前世や来世も含めたものかの違いがあります。それは、今世にて生まれてから今日この瞬間までの自分を対象にするのか、過去世も来世も含めた意識としての自分を対象にするのかということで、人生の目的を知る上で全く異なる話になります。ここでは、魂である意識としての自分を対象にした、スピリチュアルな人生の目的をお伝えします。スピリチュアルな理解を含めることで、人生の目的に誰しも共通のものがあり、後はそれを目的にするかどうかの本人の選択のみが残ります。目的がなければならないことはありませんので、目的を知る際の一助として、参考程度にご覧ください。Contents初めに、今世の生まれてから今日までの人生を対象にして、人生の目的とは何かについて見ていきましょう。人生に目的があるのかどうか。そのため、目的がある場合には、自分の意志として「~したい」「~するぞ」という気持ちがあります。その意志からの気持ちは、自分を喜ばそうとする動機となり、行動する意欲を駆り立てて自ら目的を達成しようとします。しかし、人生への認識は千差万別で一人一人に人生があり、本人以外に本人の人生を認識することはできないので、あくまで自分のみを主観にした人生には大それたも小それたも、評価や判断は存在しません。そんな人生の目的が必要かどうかは人それぞれで、あろうがなかろうが自分自身にしかわかり得ません。しかし、今の時代では他の情報はいくらでも入ってきますので、自分を客観的に見る視点と同時に、自分と他者を比べようとする認識が作られ、人生や自分や目的を考えることになります。以上から、人生の目的について初めにわかることはこちらです。 「見失う?!主観じゃなくなる?!」とは大惨事かと思いきや、おそらく誰しもにあるのではないかと思います。学校に行けば、「あなたはGOOD」「あなたはBAD」と言われて他と区分けや評価されるので、その時に、「なんで?」「あぁ、他の生徒と比べて私は良いんだ、悪いんだ」と理解して、自分を見出すために他者を利用して、主観が自分ではなくなります。それを続けることで自分を見失いますが、見失っていると思い込まないように脳を働かせて思考的に思い込みや決め付けをして、「これが私なの」と主張したりもします。認めているかどうかの違いが人それぞれにありますが、学校や他者との競争社会に居れば自分が主観ではなくなるので、人生の目的を見出す前提条件を得ます。生まれた時にオギャーオギャーと言いながら、「隣の分娩室から聞こえたオギャーは私より声の張りがあったなぁ、私は声が小さいんだな」と自分を他者と比べたり区別して認識する変人ベイビーはなかなかいないと思うので、みんな生まれた時には自分が主人公で自分を全ての中心として明確に確定しています。すると、生まれる生育過程で自分が主観ではなくなる経験があり、そんな自分を選択して今に至るため、自分を明確に主観にすることで人生の目的を常に持つ、または目的を認識する必要がない状態になります。※人生の目的の詳細は、 ここから、過去世や来世も含めた”意識”としての自分を対象にして話をすすめていきます。意識として、または魂としての理解となるため、”輪廻転生”と”カルマ”が人生の目的に大きく関わります。初めに、人生の目的をわかりやすく理解するために、「目的ってそもそも何ですか?」という話をご覧ください。目的とは、「達成したい」「~する」という意志によって抱く狙いであり、的であり、行動動機です。“したい、する”と意志が含まれるために、自分にとっての喜びがあることに大きな特徴があり、自分を喜ばしたい気持ちや願望がなければ目的を持つことはないとわかります。そのため、人生の目的は今世でもスピリチュアル的にでもどちらも”自分にとっての喜びを求める行動動機”のことで、必ず喜びのためのものです。目的を明確にすることで行動することができる指標となり、喜びをゲットするためにまっしぐらという行動動機となるのが目的です。これを踏まえた上で、スピリチュアルな人生の目的を知っていきましょう。 輪廻転生があることから”人生”に過去世の記憶が加わり、来世も存在する前提での理解となり、人生として存在する”認識”と”空間”と”時間”が今世に限ったものとは大きく異なります。そのため、やりたいこと、やりがい、生きがいなど、何かしら自分のためになり、自分にとっての喜びを求める行動動機なので、動機を持つ根底に自分を喜ばさせようとする”自分”がいます。その自分を取り戻すことで人生の目的を認識したり、目的を認識する必要のない状態になることを前述しました。そこに、過去世があることでカルマの認識が追加されます。さらに、来世があることで肉体は朽ちても魂は死なない認識が追加されます。そこには、それぞれを活用して人生に喜びを生み出すための目的が生まれます。二つある人生の目的、詳細を見ていきましょう。 輪廻転生による今世には過去世に作ったカルマが存在します。因果応報とも言い、自分の行いにより意志を生み出し、その意志を自分で責任を負う自然の摂理。カルマがあることで、嫌でもカルマを解消すべく自分の振りまいた意志が返ってきます。唾を吐いたら、唾を自分に吐かれるという見返りではなく、自分の意志を生み出して葬る責任のことで、意志によって生み出された”おもい”を自分が浴びます。それは、唾を吐いた時の意志にある思いや想いを自分で受け入れることが責任です。カルマは恐れるものではなく成長させてくれるもので、自らの意志と行動によってカルマを生み出すので、 受け入れとは認めて迎え入れることです。自分の生み出したカルマを受け入れることでカルマを解消します。それが人生の目的なのか?違います。カルマによって自然発生的に自分が生み出したものは返ってくるため、カルマ解消を目的にするかどうかは人それぞれです。人生の目的にしても良いと思いますが、カルマを解消できなければ起きる出来事にてただ苦しみます。誰かを傷つけ、その際の自分の意志によって相手に与えた”おもい”が自分に返ってくることで、自分が同じように傷を負って”おもい”を与えられます。それは相手に与えられたのではなく、自分の発した意志が返ってきたカルマです。あくまでわかりやすくする一例ですが、人を殴ることでカルマを作ります。因果応報として人から殴られ、それを受け入れられれば人を殴ったカルマの責任となり解消されます。しかし、受け入れられなければボコどころではなく、ボコボコボコと殴られ続け、その際に殴り返せばさらにカルマを作るという無限ループ。与えたおもいが返ってきた際に受け入れられなければ受け入れる許容がないことを意味し、受け入れられればカルマは解消されます。受け入れられなくても成長材料となり糧となり、受け入れられればそれもまた成長機会となる。私なら嫌です。私のような怠け者はできれば避けて通りたいところです、カルマなんて。しかし、カルマを解消する際の受け入れができることは大いなる喜びになります。 カルマでもそうでなくても、起きる出来事や待ち受ける経験を認めて迎え入れられる”受け入れ許容”を持つ人は余裕があります。それはお金を持っている安泰による恐怖のない様からの余裕ではなく、人間として恐怖に打ち勝つ意志の強さであり、人間力として物事を受け入れられる精神性です。裸でどこでも生きられる恐怖のなさや、どんな嫌なことでも受け入れられる寛大さには必ず経験と成長が必要で、その育みにカルマが大切な材料になります。成長して受け入れられる人には柔軟性や寛容性があり、受け入れる許容としての人間性や在り方を持ちます。そんな自分になることは喜びとなり、心からの真意であり意志として受け入れられるようになる成長は喜びを求める行動動機となるため、受け入れられる自分になることが人生の目的になります。受け入れる許容を持つ自分になることで、辛いことを喜びに変えてしまう自分になります。認めて迎え入れる受け入れには、「辛いけど認めました、ウエーン」「これでどうだ、こんちくしょう」と我慢や忍耐や頑張りにて血反吐を吐きながら認めるなんてことはありません。自分や他者や出来事への敬いにて迎え入れたい意志を持ち、迎え入れられる認識を無理矢理ではなく自然に持てる自分になる成長。それは、殿様のような食生活をしていたのが、突然麦飯とみそ汁具なしになっても、喜んで頂ける自分に※受け入れるための詳細と口癖は、 もう一つの人生の目的は、来世を含めた認識です。カルマ解消がままならずとも、受け入れができずとも、できなかったことに経験があり意味があります。それは、自分だけではなく、関わる周囲の人や影響力による他者の人生の目的への追力となり、物事の意味を作って流す川です。起きたことをそのままに認識することで常に変化を促す動機を持ち、その認識は個人から全体としての見方となり、他者への影響や地球全体としての意識に繋がっていきます。例えば、自分の失敗談を情報として提供することで、他者の行動のやる気となり喪失となり、何かしらの影響を与えます。良い悪いは影響を受ける本人にしかわかりませんが、自分だけでなく他者との関わりや共存を意識することで、何かしら行動や意志を持つことへの変化が加わり、物事を流す循環が生まれます。そして、自分の寿命が近くなる際に後世に引き継いだり、若い人に自分の知恵や能力や選択幅や行動動機を与えることで、より循環を加速させて全体としての目的を持つことに繋がります。来世を含めることでの俯瞰性にて、出来事の意味を見出すことができます。さらに、自分の行動が他者に影響を与えることで、他者の行動動機や意味付けに助力し、他者を含めて喜びを増大することができます。 循環によって流れを作り、同時に途切れさせない効果があります。それは、来世の自分に対するものでもあり、関わる周囲の他者に対するものでもあります。循環によって他者との共存を促す効果にもなり、関わりにポジティブなものが生まれ、共感や共有や調和や協調という敬いの気持ちを育みます。そして、他者への影響による感謝や経験があり、他者も含めた視点や認識にもなり、自分の世界を広げることができます。来世があるかどうかは頭で考えても現実としては存在しないのでわかり得ません。そのため、未来の自分を自然と別人物として捉える認識になり、まるで自分ではない他者の自分への影響として行動したり経験する動機が作られ、より今世を楽しんで行動する目的意欲がもたらされます。自分の喜びを主観にしないことで、他者に依存や執着をして、自分勝手やわがままになり、見失っている自分を見出すために他者を利用する利己的で排他的なエゴの行動になります。自分の喜びを主観にすることで、他者への感謝や影響の意味を考えることができ、他者への敬いや愛に繋がります。※わかりにくいかもしれないのでスラーと読み流して、先をご覧ください。 そのため、自分を主観にして自分の喜びを求める意識があることで目的を持ちます。そこに来世も含めた自分を認識することで、まだ先がある…。これを良いと思うか辛いと思うかは人それぞれですが、輪廻転生がある以上は魂は死ねません。そのため、今がどれだけハッピーハッピーで、目的のことなんか考えたことがなく、考える必要も認識もないとしても来世もある、その先もある、さらに先も、また…と続き、初めは良くてもその内、「もう要らなくね…とほほ」となります。飽きちゃうんですね、ハッピーハッピーに。そのため、初めにお伝えした人生の目的のように、自分を確立していれば人生の目的なんて考えることもないほど充実して満足して幸せで、今が良ければそれで良い。もうその通りだと思いますが、それが続くといつか来ます、気付く日が、「なんかずっと同じ、あ・き・た」と。ですが、当然今が良ければそれで良いと思います。人生の目的が必要ない人には必要ありません。人生の目的を考える人には本人にとって目的は大切になり、この内容を読んでいることに意味があります。そのため、これを読んでいることには、過去世も含めたカルマを活用することで”自己の成長”として精神性や人間力を上げる喜びをもたらし、終わることのない喜びを自ら作る段階や準備ができていることを意味します。さらに、来世の認識も活用することで”循環”を目的にした自分の喜びを広げることができます。※循環の方法となる”仕事”については、 最後に、これまでの内容を全て含めて、スピリチュアルな人生の目的をご覧ください。使命や役割や宿命や生きがい。これらは全て、自分にとっての喜びです。生きていてするべきことがあるのか、やらなければならないことがあるのか。ありません。生きていればその内に死にます。その間をどのように生きようが好き勝手です。そのため、人生の目的が必要な人は必要で、必要ない人は必要なく、一生考えることもなく、全ては意志に基づく選択です。これを読まれているからには意味があるので、人生の目的を持つことをおすすめします。それは、これまでの内容を全て含めた”自分を喜ばす道”。これです。常に喜びを求め続けるために最適な”自己の成長”と”循環”があります。そして、魂が死なないなら、生涯が終わらないなら、一生喜びのある道が良い。そんな風に私は思います。それはもう遊びであり、終わらない人生の遊び方は、目的を探す目的を持つことです。ずっとジャングルジムで遊ぶのではなく、遊び方を考えたり、ジャングルジムを作ったり、ジャングルジムの見方や認識の基となる自分を変えたり、俯瞰的に捉えて他者を含めたりすることで、終わることのない遊び方を作る方法となる、目的を探すことを目的にした人生が始まります。そんな素敵な人生をもたらすのが、人生の目的です。※成長となる精神性の話は、 スピリチュアルな過去世も今世も来世も含めた、魂としての意識を基にすることで人生の目的には明確なものがあり、誰しもに共通です。しかし、人生の目的は自分が持つか持たないかの話ですので、あくまで目的があってもそれを認識するか否かは完全に個人の自由であり、それが今現在のリアルとしての選択です。目的とは、自分の喜びを求めるためのものなので、喜びがなければ目的など要りません。そのため、過去世のカルマ活用にて成長機会として、受け入れ許容を広げることは潜在意識を持つ自分を喜びに繋げるさらに、来世も含めた”循環”を作る生き方にて、来世の自分と今の自分を俯瞰するきっかけになり、客観的に捉えることができます。同時に他者への影響や繋がりを意識した在り方や人間性への育みとなり、他者との共存や調和の中でより喜びを生み出すためのそして、終わることのない魂としての人生を認識することで、終わることのない喜びを見出すために、成長と循環を意識した自分となり、全ては今を生きる生き方への構築に繋がり、スピリチュアルな認識を活用することで、過去世と来世による恩恵として喜びをより求める行動動機となり、今をより強く認識することになります。目的は自分の喜びとなるために、あるならあった方が自分のためになります。喜びは体感して初めて認識するために”今”のみに存在します。あろうがなかろうが、認識できる現実は今のみであることから、過去も未来も活用して今の認識を強化するのがスピリチュアルな人生の目的であり、今感じる喜びを増大できる一生遊ぶ方法です。そんな人生の目的、あった方が楽しそうじゃないですか?おすすめな人生の目的スピリチュアル編、という具合で参考になれば幸いです。それでは、スピリチュアルな人生の目的の話を終了します。最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。恋愛・不倫・復縁・仕事・人間関係、現代では多くの煩雑とした悩みが私達を取り囲みます。その悩みや不安を、電話占いで解決しませんか?電話占いウィルではメディア出演多数のなかには、霊感・霊視など困難な問題への解決法、運命の切り開き方を知りたい方は、一度鑑定を受けてみてはいかがでしょうか?